一泊どまりの明日香散策行
今回世話役は参加しなかったためナビ役写真を借用して本ページを作成 
なお、これまでに明日香・飛鳥等で散策した主な回の日時は以下の通り
        岡寺~芋峠~大和上市 (平成17年5月)  明日香村・稲渕、案山子(平成17年9月)
        談山神社~明日香(平成17年11月)    甘樫丘周辺 (平成19年3月)
        甘樫丘 ふきのとう (平成20年2月)    飛鳥西側  (平成20年11月)
        明日香 稲渕・案山子 彼岸花 (平成24年9月)

 欽明天皇陵と参加者面々
  左記は欽明天皇陵
説明板
陵名は檜隈阪合陵
、全長140㍍、後円部径72㍍、前方部107㍍、墳丘は3段築成で周濠を持ち、明日香村内では唯一の前方後円墳である

 
 
欽明天皇陵 金塚 碑
 
明日香石像仏 鬼の雪隠

同左 鬼の雪隠 
 
野口王墓古墳
(天武持統天皇陵)
 
明日香石像仏 亀石
 鬼の雪隠 
Hシニア作成のクレヨン画

亀石
Hシニア作成のクレヨン画 

石舞台
Hシニア作成のクレヨン画 
 
川原寺(弘福寺)跡説明板
川原寺(弘福寺=グフクジ)は斉明天皇の川原宮のあとに営まれた寺。現在この位置(本堂)の周辺に有名な瑪瑙の礎石が遺っていることなどから大正10年に史蹟に指定されている。 
稻淵カカシロードの
「奉納おどり」

万葉歌碑 坂田寺跡
 
万葉歌碑  柿本人麻呂
左記の歌
「明日香川明日も渡らむ石橋の
遠き心は思ほえぬかも」
 

稻淵 男綱
綱で垂れ下がっているがーーー? 


 泊まる予定の祝戸荘
 
泊まりの祝戸荘夕食 

祝戸荘は研修所も完備

図書も充実

飛鳥宮殿跡の万葉歌碑
 明日香川 七瀬の淀に 住む鳥も  心あれこそ 波立てざらめ 巻7-1366)

都塚古墳 内部 

石舞台  

岡寺仁王門 
 
日本最大の厄除如来を
安置する本堂
663年(天智天皇2年)に草壁皇子の岡宮を義淵僧正が
譲り受けて創建した由。堂内安置の本尊如意輪観音座像は塑像としては日本最大のものと言われている。 
 
岡寺からの展望 西方を眺める
 
 
岡寺麓にある治田神社
 治田神社創建は明らかではないが延喜式巻十の延喜神名帳の式内社とされていることから平安時代には社があったことがわかる。当境内地から基壇や礎石、瓦等出土することから八世紀初頭の岡寺(龍蓋寺)創建伽藍があったと推測されている。
 治田神社標識

飛鳥京跡の
万葉歌碑
志貴皇子の歌
采女の袖吹きかへす明日香風
都を遠みいたづらに吹く
    =巻1-51 
 
 
酒舟石

万葉文化館 

飛鳥坐神社 
 
折口信夫歌碑
ほすすきに 夕ぐもひくき 
明日香のや わがふるさとは 
灯をともしけり  

会津八一歌碑
みもろは 人の守る山  もとへは 
あしひ花さき すゑへは 椿花さく   うらくはし 山そ く子守る山
 

 飛鳥寺
 
発掘作業中
槻の広場?前方は甘樫丘
 

酒舟石
Hシニア作成のクレヨン画 
左上の歌碑のこと
明日香村の飛鳥坐神社に建てられた歌碑について会報 「秋艸」№33 に 「秋艸道人の万葉 新歌碑」(山崎馨)という一文が掲載された。  万葉歌碑を建てることになり、歌は上記と決まったが、八一の書いたものがない。そこで考えたのが、八一の書から上の歌の字を集めてさながら八一が揮毫したかのようにして歌の最後には 「八一」 の文字まで入れて歌碑を作ってしまった、その経緯が述べられている。新潟の八一記念館は、これを八一の歌碑とは認めていない由。 
   
甘樫丘からの展望 畝傍・耳成・香具山が遠望される


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