21年つれづれ

     21年1月5日   新年始動

      今年の最初も山の辺の道 JR長柄駅から大和(オオヤマト)神社、数個の古墳、寺社を巡り 最後は天理駅に
      出るコースを歩いた。直線距離は簡単な距離に見えるが、歩数計をつけた参加者二人の歩数から見ると約
      10キロ程度は歩いていたことになる。
      今回参加者は六名だったが、いつもの山の辺の道だと街道沿いにある寺社、古墳等は素通りしていたところ
      でもあったので、割と好評な散策行となった。
      ただ、いつものコースだと巡ることになる永久寺跡や石上神社には行かず、天理駅方向の町中の丹波市町に
      ある市坐神社が最終ポイントとなった。
      昼食は以前にも立ち寄った「みちふく」で摂った。にゅうめんを頼む者、缶ビールを頼む者だけだったが、ここで
      一息いれて、後の竹ノ内環濠集落、更に奥にある十二神社まで足を延ばした。
      この日、散策グループも4〜5グループは見かけたが、やはり初詣客らしき人は見かけなくなっていた。
      幸い天候も晴れ間も見せたし、まずまずの天候に恵まれ、無事に天理駅に到着。
      奈良か八木と予定した一杯を、天理駅階下にある中華店として2時間ばかりの反省会を開き、今後の泊まり散策
      予定も検討、色々出てきたが、最終的な決定・企画はこれからの課題とした。
     

    21年2月11日 西大寺周辺から奈良文化財研究所経
      天候急変の予報を気にしながらもシニア5名で秋篠寺から神功皇后陵を巡り、平城駅前のデミタスで昼食、
      そのあと成務・成和天皇陵、八幡神社から瓢箪山古墳、塩塚古墳をまわり、コナベ古墳外側をグルッと回って
      再度佐紀路を引き返し、西大寺方面に向かう。元の廃棄釣り堀に浮かぶ渡り鳥、中に子白鳥が紛れ込んでいるのを
      眺めたり、絵筆を動かすご婦人三人連れと会話を交わしながら、平城宮跡に到達。
      建設中の大極殿模型を見物し、奈良文化財研究所にも立ち寄り、中にいたボランティアの人と一頻り、平城京の
      古代に思いをはせたりして、反省会場へ。
      いつもの味落座で一杯に及ぶ。約2時間ばかり回を楽しみ三々五々家路についた。
  、

    21年2月26日 大仏鉄道跡巡り
      この日だけ快晴となったこの日、シニア七名で僅か9年ばかりの開業となった大仏鉄道跡巡りに出掛けた。
      加茂区に入って一部道を間違えたが、約10キロ程度の遺跡巡りを堪能。いつもの通りの打上会も開催出来た。
      トンネル跡を訪ねることが主体となったが、既に橋台が有ったと言われる場所の一部はその跡も残っていない
      有様に変わり果ててもいた。
      旧加茂町内は割合、観光協会がこまめに遺跡説明板をたてたりしていたものの、旧木津町内はやや不親切な
      道案内程度に過ぎなかったのが惜しまれる。
 

    21年3月27日 宮山古墳と墓山古墳等巡り
      近くを巡っていながらなかなかこの当たりの古墳を見ていなかった御所から市尾へ抜ける道の古墳巡りに
      シニア4名で出掛けた。天候は晴天とは言えなかったが、雨には降られずに歩き通せた。
      石舞台古墳に匹敵するというこの当たりの豪族の墓だとか、それに次ぐ規模を持っている古墳等を見ることで
      快適な一日となった。また、なかなかお目にかかれなかった蕗の薹のメッカ的な場所にも出くわし、明くる年に
      是非ここで収穫しようと衆議一決したのも今回のエポックとなった。
      風もあって暖かみの感じられなかったものの、市尾駅近くの墓山古墳頂上からはグルッと回りを見渡せるスポット
      的な場所でもあった。

    21年4月10日 宇陀本郷の又兵衛桜と松山地区巡り
      この日は続いている快晴で日中は真夏並みの気温を記録したと帰ってからTVニュースが報じていた。
      桜見物を二カ所と予定していたが、仏隆寺は参加者の意見からまだ三分咲きとか、で見送りとして宇陀の又兵衛桜の
      後はこの地区を再度見回ることにした。今回の参加者はシニア5名。
      前日にTVが報じたこともあって、観光バスが入り込んできてかなりの人が押し寄せていた。
      咲いている斜面の前は、整備された河沿いながら、水は少ししか流れていなかったが、屋台風のテントには人が
      出入りし、回りの道路には車、車の列で2〜3カ所の駐車場も満杯に近い状態であった。
      どうも満開を少し過ぎつつあるようで、やや鮮やかさに欠けたように感じた。樹齢300年とかの桜を地元も人が押し
      寄せるようになってから手を加えているようで、この日も桜に近い所でボランティアが寄付代わりのチケットを100円で
      配布、観光客にも整備費用負担を求めていた。
      桜を見た後で、かぎろひの丘まで戻り、早めの昼食を摂った。一休みしてから阿紀神社から徳源寺を目指すが、
      途中に天益寺がありそこに立ち寄った。元々は萱葺きの本堂があっらしいが、10年前不審火で全焼、明日この再建
      支援コンサートがあるとチラシが貼ってあった。ここの枝垂れ桜は見事で、又兵衛桜よりも見方によっては風情が
      あるように感じたがーーー。
      ここから上手にある松源院を通り徳源寺へ。今回は徳源寺にも住職らしき人が子供と布団干しをしていたりして
      人の気配がありなんだかホッとする。織田公墓所まで行って一涼み?。
      徳源寺から松山地区に入り慶雲寺を見、まちなみギャラリでコーヒーを飲んだ。流石に桜見物には人が押しかけて
      いたが町中は二、三グループを見かけたもののひっそり感としていた。 
      通りを道の駅へ引き返す途中の森野薬草園で数多い薬草類の宝庫とも言える貴重な樹木や薬草を眺めたが、今が
      端境期らしくまだ芽を出している薬草類が少ないのとやや手入れ不足からか説明不足の感がする薬草園だった。
      道の駅へ戻り、裏手の大願寺へ三名が行ったが、二人は駅でソフトクリームにありついて一息入れた。
      バスで榛原経由八木駅へ戻り、いつものようにこの日の打ち上げ会を開き、暑かったこの日を振り返った。

    21年4月16日  東吉野・高見の郷 しだれ桜
      この日シニア六名で高見山麓に展開する東吉野の高見の郷の枝垂れ桜見物に出掛けた。
      榛原発のバスに乗車、途中下車の人もいたが、終点まで乗車したのは我々とあと一人のみ。この人とは帰りも一緒
      になり、メンバーの一人が聞いたところ和歌山から出掛けた来た由。ここの園代表島崎照章氏とは友達で入り婿と
      なった元五輪陸上選手の田中氏が桜園をやってみようと始まった高見の郷だったとのこと、
      元々島崎氏はこの地方の山林大地主で、この土地も氏の所有で開園して5年程度だが、事業計画としては
      三代かけて整備し一大枝垂れ桜園にしていく予定との由。
      我々も気になった崖崩れ予想に対しても既にそのことも織り込み済みでいずれ対策を実行するとのことだった。

      この日は平日なのに何時になく車が入り込んできた。聞いたところでは、朝日新聞の阪神版にここのことが昨日だった
      か出たようで、お昼の天空茶屋にも大勢の人が座っていた。
      受付所から頂上付近までの高度は約500メートル程度あり、行きは中間地点までここの小型乗合自動車がピストン運転
      しているのに乗った。全体的に開園間もない園は、まだ弱々しい桜もあったが、ほぼ満開だった。
      快晴のこの日は、バックの高見山の頂上も見通せた。昼近くにはグループで来た人たちの昼食風景もあちこちで見かけ
      たし、茶屋の何かも売り切れと叫んでいる声も聞こえていた。
      我々も中腹で昼食を摂り、暫しの休憩とした。
      受付所に下りてみると、車が満杯で路上駐車もあちこちに広がっていた。バス待ちで時間があったのでバス停側の
      高見川近くに降り、野草を探したり、四方山話に興じたりしていた。
      場所を探して昇ってくる車が、バス停横から上がれるかと、入り込んできて、我々に道を聞いたのが3台程度あった。
      バスも一日3便程度しかなく、我々が乗ったバスもこの日の第二便だった。
      既に車で来ることを想定しての開園でもあるようだが、偶には我々のような電車バス乗車者にも配慮してもらえれば
      良いように思うがーーー。今日の歩行距離は、急なアップダウンもあって約5キロ程度だったとメンバーの一人。
      早めに、いつもの居酒屋に帰り、一日を振り返り、次の散策予定等を話し込んで、2.5時間程度で散会。

     21年5月19日〜20日 泊まりのみたらい渓谷と洞川温泉
      今回が110回目のなら歩楽歩楽会として、遙々遠来の友を一度は案内すべく、前の散策反省会で実行日を決定し
      早めに旅館にも連絡していたものの、肝心の友が、今回のインフルエンザ?で不参加となった。
      しかし、他のシニア六名は元気に参加、晴れ間の少ないみたらい渓谷歩きと翌日の洞川自然研究路を踏破し、
      無事な橿原神宮駅構内での打ち上げ会となった。
      あたらしや旅館には他の2グループも入っていたが、いつものように親身にもてなしをしてくれ、初日の夕食は豪華で
      新規に参加したメンバーも感心しきりの様子だった。
      みたらい渓谷の崖崩れ復旧は、時間が掛かる様子で、崩れた場所の山の上からコンクリートで固めながら、下の
      部分に達しようとしている様を見ながら通り過ぎたが、回復するにはあと一年以上もかかるのではないかと推測し
      あった。
      今回の参加者の一人は、昆虫や川サカナの類を取り込もうと手網を持って乗り込んでいたが、みたらい渓谷〜洞川
      一帯にはサカナも虫も捕獲禁止と張り紙されやや手持ち無沙汰の感があったろう!
      また、時期的に早いのではと思っていた「九輪草」が咲き始めていてこれにはホッとする一幕もあった。
      旅館の娘さんが、今回のインフルエンザで通っている大阪の学校が休校となり、旅館に帰っていて、我々の
      自然研究路巡りの日におかみさんと散歩に出てきてこの九輪草が咲いている当たりで出くわすハプニングもあった。

    21年6月3日 淀川堤と枚方宿
      オプション企画として淀川堤と枚方宿散策にシニア七名が繰り出した。
      この日は、カンカン照りではなく、雨も予想してのスタートではあったが、川岸歩きには、丁度都合の良い曇天
      続きの一日であった。
      JR桜ノ宮から北上、建築家安藤忠雄氏主催の桜樹植えつけの向こう岸を眺めながら、毛馬閘門、淀川大堰に
      至り、そこで昼食の後、豊里大橋付近まで歩いた。
      途中の毛馬公園では、蕪村顕彰施設事業として、この日までに掲示された25句の俳句が掲げられているのを
      じっくり見、毛馬閘門の役割にも感嘆しながら、淀川大堰へ出た。
      ここも明治時代の沖中工学博士の河川大改修の貢献が如何に偉大だったかをシッカリ見返す一時ともなり、
      淀川の制御に先人が如何に苦闘してきたか、を思い知る石工の機会ともなった。
      豊里大橋で一旦淀川歩きから離れ、枚方までは京阪電車を利用して、先ず枚方公園駅で降り、旧東海道56宿
      と言われる枚方宿跡に行った。
      以前の面影はなくなっているが、江戸時代では船待ち宿、昭和・平成時代には料理屋として営業していた
      「鍵屋」資料館に入り、資料館の説明員の案内で館内を見学させてもらった。
      今は、慶弔時の宴会場としての予約受付が可能という大広間の二階にも上がり、63畳敷きの広間を見た。
      もう裏手には京阪国道が走り、表側もやや狭い車道となっていて、とても旧東海道が通っていたという縁は
      忍ぶべくもなかったが、古きよき時代にはさぞ大賑わいの船宿だったろう、と推測された。
      鍵屋を出て京阪枚方駅方向に歩いたが、市当局か観光協会かが道標を設置して在りし日の遺跡跡保存に
      力を入れている様子だったが、距離的には500メートル程度のことで、今少し長い距離の保存が望まれた。
      時間的にはやや早く駅前に到着したため、居酒屋探しに若干の時間を要したが、海鮮居酒屋・はなの舞に
      潜り込み、焼酎3本を空にしてやや酔っぱらい気味に近い御仁も出始めた打ち上げ会となった。

   

     21年6月26日 高取城趾と明日香村・健康福祉センタで一風呂
      梅雨に入ったこの日ではあったが、出がけは曇り空ながら、先ず先ずの天候となり、もう5年前になる高取
      城趾にシニア六名で出掛けた。
      この日は、壷阪山駅近くの子嶋寺と人頭石で有名な光永寺に立ち寄ったあと、夢創館で高取城趾の
      プロジェクターを見せてもらい往時の城を頭に入れて山にかかった。
      やはり梅雨時でもあって湿気が多いためか汗だくになりながら、ユックリペースで登っていった。
      猿石着は、既に正午を回っていたが、更に上へあがり、本丸手前の休憩所で昼食。
      食後に本丸跡等を見て、帰りを栢森へ降りることとした。
      栢森から村営バス利用と決めていたため、2時38分のバスに間に合うよう少々早足気味に下っていった。
      山を下りるだけに、最後の部分は、やや急坂気味で滑りやすく感じた。
      やっとのことで舗装道路に出、バス停方向に歩き始めたが、実際は反対方向に歩いていたようで、
      折り返しのバス運転手は降り口から反対側へ約200メートル当たりに停留所があると言っていた。
      飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社前まで歩いていて、その折り返しのバスで健康福祉センタまで行き
      太子風呂とかの風呂に入り汗を流した。
      小一時間程度休憩後、いつもの八木駅前まで戻り、反省会兼打上会。
      約2時間程度、いつものようにワイガヤで盛り上がり、各自帰途についた。
     

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