正歴寺モミジ見物 平成29年11月21日
散策ルート⇒  近鉄奈良駅~(バス)~矢田原口・春日宮天皇陵~(徒歩で菩提山国有林内散策)~正歴寺
(入口近くの広場で昼食)~とようけの森~五つ塚古墳群~円照寺~(バス)~近鉄奈良駅
   
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田原御陵バス停
志貴皇子(称号春日宮御宇天皇、田原天皇)志貴皇子(生年不詳-霊亀2年8月11日(716年9月1日))は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子、志紀皇子とも記す。天智天皇の第七皇子。
皇位とは無縁で文化人としての人生を送った。しかし彼の薨去から54年後に息子の白壁王(第49代光仁天皇)が即位。春日宮御宇天皇の追尊を受ける。   

   ナビ役説明文 
 
田原春日野集落を行く
この日の参加者
 
いのしし狩りの檻

 正歴寺近くの
色づいたモミジ
 
日本酒発祥の地碑
正暦寺(しょうりゃくじ) 
992年(正暦三年)に第66代一条天皇の勅願で、関白の九条兼家(かねいえ)の子兼俊(けんしゅん)大僧正の創建。最盛期に86坊の堂塔伽藍を有したが、1180年(治承4年)平重衡の南都焼き討ちで殆ど焼かれ、後に、1216年(健保6年)興福寺別当の信円僧正が法相宗の学問所として再興。
本尊は国重文で秘仏「金銅薬師如来倚像」、像高約35cm、奈良時代の作。山号の菩提山は、春日山を中心に右回りに取り巻く所が釈迦が修行をした聖地と同様の鹿野園、大慈仙、忍辱山、誓多林、菩提山の五大山で、その内の1つに位置する事に由来し、「五大山」の各名称は、今も各町名に残っています。                 ナビ役説明文
              ※秘仏公開期間でもあったが今回は本堂に上がらず 

この寺の位置図

 下から本堂を眺める
 
一番奥のモミジ
 

菩提仙川(正歴寺)看板
 
本堂への樹間から見た
モミジ(時期的にはやや遅し)

正歴寺帰途見かけた
地蔵菩薩
 
最近開設された
”とようけ”荘

円照寺近くの
田圃の稲ワラ
  
寺近くの五つ塚古墳全景

 五つ塚古墳説明板

こちらからの近道 
 
新山の辺の道標

山の辺の道ルート図
 
 
三十三カ所霊場巡り場所
円照寺
斑鳩の「中宮寺」、奈良は佐保路の「法華寺」と共に大和三門跡の1つ。
また、円照寺は華道「山村御流(ごりゅう)」の家元でも有ります。
円照寺は第108代後水尾(ごみずお)天皇第1皇女・梅の宮(文智女王)の創建で、1641年(寛永18年)京都修学院に草庵を結び、のち大和国添上郡八嶋に移って御所と称し、1669年(寛文9年)現在地に再移転、俗に「山村御殿」と呼ばれます。    
      ナビ役説明文
 
円照寺山門

円照寺バス停
 

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