榛原〜十八神社〜戒長寺〜室生湖畔〜竜鎮渓谷〜大野駅

十八神社への案内標

十八神社鳥居

十八神社勧進縄

神社本殿a


十八神社由緒
右記に内容を記す
 十八神社由緒
祭 神  神倭伊波楹毘古命
境内社 三社権現
     両大神宮
     春日大明神
創建  不詳
 往古は、極楽寺(現廃寺)の鎮魂社であったものを、のち、大  字額寺の産土神として崇敬し、現在に至る。  古事記には神武天皇御東征の頃に撃兄師木、弟師木時、御  軍暫○、雨敬日楯並めて伊那佐の山の樹間よもい行き候ひ、  戦へば、吾はや鎮め、島津島鵜養(額井の先祖)が徒、今助に来ぬとあり、この縁により祀る。
  他には、手水の流水は額井岳中腹、一清の杜(竜神を祀る) の桶水による神水である

神社の池の蛙を
見つけて

神社の狛犬


赤人の墓附近にて


山辺赤人歌
あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声(17-3915)
【通釈】山の谷を越えて出て、小高い野で今頃は鳴いているだろう、鶯の声よ。

山部赤人五輪石塔


大和富士・額井岳南斜面
に赤人墓と伝承されている
旨の記載


紫陽花
戒長寺
寺伝では「人皇三十三代用明天皇の勅願によって、聖徳太子が建立し、後、空海も来て修業した霊場であるといい、俗には戒場薬師とも称する古刹である。今では真言宗御室仁和寺の末寺で、堂舎甍を並べたかっての壮麗さはないが、背後には薬師山、前面に戒場の里のひらける立地と、本堂脇に鎮座する十五社(現戒場神社)等から、密教寺院としての草創が推知できる。現在の本堂、庫裏、鎮楼門は元治元年の再建で、往古の隆盛に比して、寺運の衰微が感じられる。
それは、小本堂の須彌壇から外陣の端々まで所せましと安置されている、本尊薬師如来像(藤原時代)を初めとする千手観音像、地○○護半跏像、十二神将など多数の○派な仏像と簡素な鐘楼に懸かる十二神将を陽鋳した正応四年銘の秀れた梵鐘(重用文化財)等によるものである。

戒長寺山門の石段

戒長寺由緒

十二神将が刻まれた梵鐘a
重文指定

手入れされた棚田

案内標は整備されている

戒長寺社殿

奈良県指定天然記念物
お葉つきイチョウ
目通り四メートル
高さ三〇メートル
樹勢も旺盛とある

屋根と屋根の間にホウノ樹

     ホウノ樹    

ホタルブクロa

コモチマンネングサa

ニワゼキショウa

下る途中から
見える葛神社

カヤの樹の大木

葛神社境内

 葛神社の狛犬


葛神社由緒

 室生湖・赤人橋を
往く参加

湖畔にあった小滝

深谷竜鎮渓谷看板

竜鎮渓谷休憩時

渓谷を流れる滝

附近の柱状節理

室生ダムa



大野寺川向こうの磨崖仏

                           

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