柳生・殿様街道・新飛鳥路

今回の散策道マップ(JR笠置駅構内の案内板)

芳徳寺側から見た家老屋敷全景

家老屋敷参道

家老屋敷説明板
旧柳生藩家老屋敷
柳生藩の幕末の家老小山田主鈴の旧邸です。主鈴は岩代国(福島県)の出身、文化三年(1806)25才の時、江戸の柳生藩邸に仕え、才能を認められて重職に栄進、文政九年(1826)国家老として奈良に移り、柳生藩南都屋敷(現ならまちセンター)を預かって藩財政の立て直しに功績をあげました。弘化三年(1846)家督を譲って退隠、さきに藩公柳生但馬守俊章から賜ったいたこの地に新邸を営んで余生を送りました。それがこの屋敷で弘化四年(1847)八月に着工、翌嘉永元年(1848)六月に上棟したものです。主鈴は安政三年(1856)七十五才をもって世を去りましたが、その子孫は、明治四年(1871)の廃藩後もここにとどまり、旧藩主俊益(俊郎)も三たびこの屋敷に立ち寄っています。昭和に入り、米蔵その他の付属施設が撤去されたりしていますが、主屋はほぼ創建当初の姿をとどめ、奈良県下ではほとんど唯一の武家屋敷の遺構です。昭和三十一年(1956)子孫が奈良の大森町に移って、屋敷は土地の人の手に渡りましたが、昭和三十九年(1964)に作家の山岡荘八氏所有となり、以降山岡氏はしばしばこの屋敷に滞在、昭和四十六年(1971)NHKから放映されました大河ドラマ「春の坂道」の原作もここでその構想が練られました。山岡氏死後の昭和五十五年(1980)、遺族の山岡賢二・雅子ご夫妻から奈良市に寄贈されました。公開にあたって、庭園と塀を修復するとともに、主屋にも若干の補修を施し昭和五十六年十一月一日に一般公開しました。    奈良市

家老屋敷手前のガクアジサイ
  
紫陽花と雨蛙

門を入った主屋全景

今回の参加者

庭園の一部

芳徳寺への入り口

打滝川に掛かる
橋を渡って

芳徳寺山門
 ~護山芳徳寺(臨済宗=禅宗、京都大徳寺蔵)
柳生新陰流祖柳生石舟斉宗厳の塁城に宗矩が寛永十五年(1628)父の供養のため創建し沢庵和尚を開山に仰ぎ列堂和尚を大一世としその後柳生家代々の菩提寺となった。方丈鐘楼等が宝永八年(1711)火災で全焼し正徳四年(1714)第二世梅堂和尚の時に再建現在に至る。本堂は平成四年奈良市文化財に指定になる。平成五年より本堂解体大修理が始まり創建当時の禅宗形式の本堂に一新した。
一、本尊釈迦如来木像
一、柳生宗矩木像
一、沢庵和尚木像
一、列堂和尚木像
一、柳生家歴代の墓


本堂全景

右側の入り口
新しい建物に変わっていた

以前は亭々と聳えていた
銀杏の大樹も小さくされていた


昼食場所の古代茶屋

いざ笠置へ

昔の殿様街道の表示

人が歩いていない
道を往く
 

途中の小休止にて

殿様街道は
はるかにハズレて?

眼下の流れは
木津川

布目川発電所の
上手に到達


以前来た布目川発電所

木津川の流れ

笠置大橋側の看板前

五月雨は水上まさる
泉川笠置の山も
雲隠れつつ
(藤原俊成)

笠置いこいの館玄関

JR奈良駅
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