白庭台~磐船神社~生駒駅

ナビ役案内文より
大和には、古代、神武東征前に、天つ神の御子が天降り、宮を築いたと伝えられています。昨年12月散策会(24年12月19日)では、饒速日命(にぎはやひのみこと)が宮処を決めるにあたり天の磐船から地上に三本の矢を射かけたといわれる三本の矢の伝承地(郡山)を探訪しました。饒速日命の天の磐船は、河内国河上哮ヶ峯(いかるがみね)に降臨したと伝えられています。哮ヶ峯伝承地はいくつかあるようですが、3本の矢の伝承地の延長線上に天の磐船が降臨したといわれる伝承地があります。今回の散策会は、饒速日命の天の磐船が降臨したといわれる磐船神社・哮ヶ峯伝承地を訪ねます
=====下記につづく

 
近鉄生駒駅から
一駅の白庭台駅に下りる
 白庭台駅全景  
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今回参加者 
 
 
長髓彦(ながすねびこ)
本拠の碑近くにあった
行基石像建屋

建屋後ろの行基石像 

かなりの高さ 
 
長髓彦(ながすねびこ)
本拠の碑

鳥見白庭台の碑 

キューイ棚の花
 
咲き始めた左記の花
大正3年、ナガスネヒコの本拠地であると伝承される「鳥見」(現在の「登美」)の人々が郷土の伝承保存を目的として「金鵄会」なる会を発足させた。
その会の発行した「金鵄発祥の史蹟考」という小冊子の中に「饒速日墳墓の所在」と題して今回の墳墓「制定」の記述が見られるので、この頃にこれら地元有志により建立されたものではないかと推測される。 
 
真言宗御室派岩藏寺の末寺(右に説明あり)

 

国道163号・168号掲示板 
 
後ろの木陰で昼食を摂る

天野川(アマノカワ)を北へ 
 
磐船神社に向かう
手前のレンゲ畑
 
レンゲ草

毛虫がぶら下がる
ツツジ 
   磐船神社は御祭神饒速日命が天照大御神の詔により天孫降臨された記念の地であり、古典によると「河内国河上哮ヶ峯」と呼ばれているところです。御神体は命の乗ってこられた「天の磐船」といわれる高さ12メートル、幅12メートルある船の形をした巨大な磐座(いわくら)で、初めて訪れた人々は皆一様にその威容に圧倒されるといいます。
境内を流れる天野川は、10キロほどくだって淀川に注ぎ込みます。 この天野川にそって古代の道ができ、「上つ鳥見路」と名付けられ、後世には「磐船街道」とか「割石越え」と呼ばれるこの道(現在の国道168号線)は現在の枚方と奈良の斑鳩地方をむすび、さらには熊野にまで続く道でした。またその一方で、古代からの日本人の巨石信仰にも思いを馳せると、天の磐船は古代の人々にとってまさに天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域でありました。そしてこの地に出現された饒速日命はまさに天から降臨された神様であり、長髓彦などの豪族たちをはじめ、大和の人々から天神(あまつかみ)として崇敬を集めたのであり、命のお伝えになられた文化が大和河内地方を発展させたものと思われます。
古代における当社の祭祀は饒速日命の子孫である物部氏によって行なわれていました。 その中でも特に交野地方に居住した肩野(かたの)物部氏という物部の一族が深く関係していたと思われます。
  
交野市と生駒市の境界
 
金剛生駒国定公園板
 
磐船神社に向かう
天野川と大岩橋
 
群がる毛虫

磐船神社 

      磐船神社鳥居

磐船神社拝殿
府民の森入り口
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