23.1.27 新年の初散策 三輪〜穴師神社〜柳本 ナビ役ブログから借用 今年初めてのなら歩楽歩楽会は、シニア8名で、三輪駅から柳本駅まで、あまり訪れるもののいない神社や古墳を探し求め、散策。山の辺の道や上ツ道は何回か歩いていますが、一路外れると、未知の世界。 小雪ちらつくなか、迷いながらも、由緒深い神社や下調べしていなければ見過ごしてしまう古墳を訪れました。 毎年訪ねている大神神社参拝は省略し、大直禰子神社へ直行します。 大直禰子神社は「若宮さん」と呼ばれています。 祭神は、大物主神の子孫大直禰子命(大田田根子)です。 久延彦(くえひこ)神社に登ります。 大美和の辻の直ぐ北から茅原に行く予定が、分岐道に気づかず、山の辺の道を玄賓庵近くまで進んでしまい、ようやくの分岐で茅原に向かいました。 茅原集落の北端に茅原大墓古墳です。 上の写真は、茅原大墓古墳頂からの展望です。大神神社の大鳥居、右に香具山、畝傍山、耳成山が望まれる 箸中の国津神社に向かう。小川光三氏が『大和の原像』で提唱した「太陽の道」上にある神社です。 祭神は、「記紀」神話による、素盞鳴尊が天照大神と天の安河を中にはさんで誓約をしたとき、天照大神の玉を物実として成り出た男神5柱で、素戔嗚尊が合祭されています 「太陽の道」 国津神社の北東にホケノ山古墳があります。HPの写真等参照されたし。 近くの三輪山慶運寺境内には、6基前後の古墳時代後期の古墳があったそうです。 相撲発祥の地「カタヤケシ」 卑弥呼庵で、昼食をとらせてもらい、雪が止むまで、和風コーヒーでしばし懇談。 崇神天皇陵の濠には、今日は、水鳥が少なかったですが、オシドリが泳いでいました。 |
23.2.17 若草台・追分梅林〜西ノ京週辺 薬師寺東塔修理へ ナビ役ブログから借用 散策から切り上げた時点では雨が降り出した由。 追分梅林 東方に若草山を見て、奈良盆地が一望される高台にあり、約10ヘクタールの傾斜地に約6千本の梅花が、3月上旬〜中旬にかけて、紅白色とりどりに花を咲かせる。 ・奈良市指定文化財「追分本陣村井家住宅」 わずか車1台しか通れない国道308号線(暗越奈良街道)が南北に走る道と交叉、北へ行くと「霊山寺」、南へ行くと大和郡山「矢田寺」。この角に、追分の本陣と呼ばれる「村井家」がある。 19世紀初め〜中期に建てられた主屋は、屋根が茅葺と桟瓦葺を組み合わせた大和棟形式で、この主屋の南東に上段の間、控の間、玄関などからなる座敷棟が接続、奈良市内では珍しい宿場建築として貴重なので、昭和59年3月に奈良市指定文化財に指定されている。 ・奈良市指定文化財「追分本陣村井家住宅」 わずか車1台しか通れない国道308号線(暗越奈良街道)が南北に走る道と交叉、北へ行くと「霊山寺」、南へ行くと大和郡山「矢田寺」。この角に、追分の本陣と呼ばれる「村井家」がある。 19世紀初め〜中期に建てられた主屋は、屋根が茅葺と桟瓦葺を組み合わせた大和棟形式で、この主屋の南東に上段の間、控の間、玄関などからなる座敷棟が接続、奈良市内では珍しい宿場建築として貴重なので、昭和59年3月に奈良市指定文化財に指定されている。 ・富雄丸山古墳 4世紀後半、近畿地方でも最大級の円墳、直径86m。 古墳からは、碧玉製の腕飾、合子、琴柱形の石製品、銅製釧などが見つかっている。 富雄丸山古墳から出土したと伝承されている遺物が京都国立博物館に保管されていて、その中には重要文化財に指定されているものもある。明治時代に盗掘されたものが、古物商や好事家の手を経て博物館へまわってきたと推測されている。さらに、天理参考館や地元の弥勒寺が所蔵する舶載の三角縁神獣鏡4面も、この古墳から出土したとされる伝承品である。 一般に言われているように、古墳にはその形態や規模、施設、副葬品などに一定の制約があり、被葬者と中央のヤマト王権との関係を示している。その意味では、円墳に粘土槨という埋葬設備を持つ古墳の被葬者は、中央とはいささか距離を置いた存在だったかもしれない。しかし、舶載の三角縁神獣鏡4面をはじめ、さまざまなAクラスの副葬品が埋葬されていた点を考えれば、たいそうな権勢を有していた人物のように思える。あるいはナガスネヒコのように大和王権に逆らった在地豪族の墓だったのかもしれない。 ・滝寺磨崖仏
この神社の神域は、ニギハヤヒの住居または墓所であった白庭山であるとの伝説がある。後の時代に、ニギハヤヒの子孫である登美連(とみのむらじ)が、ゆかりのこの地に先祖であるニギハヤヒ夫妻と併せて天神地祇を祀ったのが、当神社の創建であると伝えられている。矢田坐久志玉比古神社から分霊との説がある。 ・六条山遺跡 創立30周年を迎えた平成19年6月2日(土)10:00〜12:00、本校会議室にて、「住民のみなさんと学ぶ地域の古代史公開講座『六条山遺跡と大和の弥生時代』」と題し、当時橿原考古学研究所の調査研究部長であった寺澤薫氏を講師に招いて、記念講座が開催されました。 六条地区の地域住民の方々を中心に、保護者、生徒、職員など約80名が参加し、見慣れた校地内の遺跡を舞台にした古代のロマンに思いを馳せ、熱心に学びました。この内容をご紹介しましょう。昭和51年11月、本校の開校に向けて開発されていた丘陵地に、弥生土器が落ちているのを発見した寺澤氏は、この地に遺跡があると確信され、翌52年に行われた橿原考古学研究所の調査によって、弥生時代後期(紀元前50年〜後200年)の住居跡「六条山遺跡」が発見されました。寺澤氏は、故・末永雅雄博士とともに、最前線でこの発掘に携わられたのです。その結果、現在のグランド周辺で弥生土器多数が出土し、校門から昇降口のあたりでは住居跡5基などが発掘されました。土器の総数は、1,183個体にのぼったということです。 |
23.3.6 蕗の薹探し ナビ役ブログから借用
なら歩楽歩楽会で、飛鳥から御所まで、蕗の薹を求めて、散策しました。 越智居館跡と思われるところを通り、天津石戸別(あまついわとわけ)神社に立ち寄り、光雲寺で昼食休憩です。 光雲寺は、1346年(興国7年)越智邦澄が創建した越智氏の菩提寺です。 本日3基目の鑵子塚古墳です。 |
23.4.4 郡山城とサクラ見物 郡山駅より西方向に進み大納言塚に立ち寄り新木山古墳の横を通り新城神社に でました。そして東に進み稗田環濠集落に入り売太神社到着。昼食、その後この 集落を抜けて佐保川に沿い歩き続けました。 奈良市と大和郡山の境界にでます。ここに羅城門橋がありこの辺りが平城京朱雀 大路の南端です。 羅城門があつたとこらしい。ここから郡山城をめざし歩きました。 みごとな桜を見ることができた。 |
23.4.21 龍王山 ナビ役ブログから借用 なら歩楽歩楽会シニア6名で、柳本から、龍王山古墳群コースを龍王山に登り、天理ダムまで散策しました。 |
23.5.19 吐山スズラン群落 ナビ役ブログから借用 なら歩楽歩楽会シニア5名で、吐山スズラン群落を訪ねた後、額井岳に登りました。 |
23.6.23 大安寺笹酒まつり見物 ナビ役ブログから借用 なら歩楽歩楽会シニア8名で、近鉄奈良駅から率川を辿り、大安寺杉山古墳、墓山 |
23.9.29 新沢千塚古墳群 漸く1年3ヶ月ぶりに世話役も試行参加 朝、好天に恵まれそうなのと体調も良さそうだったので、なら歩楽歩楽会の久し振りの 散策に飛び入り参加することとした。世話役の1年3ヶ月振りのハイクで、参加者も顔を 見てびっくりしている様子だった。参加者は女性一名を含め八人だった。 今回が、このなら歩楽歩楽会も140回目を数える。流石に年間回数のペースは減っ てきてはいるがよくぞココまでーーーという感がある。 橿原神宮前から久米寺、久米御県神社、益田池堤跡、小谷古墳、宣化天皇陵から 新沢千塚古墳群の中を通り、最終千塚資料館まで約6キロ程度を歩き通せ、帰りは 八木駅までバスで帰った。女性は先に帰ったが、男性陣は駅前の何時もの居酒屋 で打上会。店のマスターも長く行っていなかったこともあって「久し振りですね」と 嬉し顔。約2時間ばかり駄弁って散会。 |
23.10.27 奈良の東・田原めぐり この日も快晴の一日、好天に恵まれた日だった。 今回参加はシニア6名。近鉄奈良駅からバスで約30分、田原大野バス停下車。降り 立った側の十輪寺を回り、太安万侶墓を目指す。十輪寺は、田原地区の大寺で最 盛時(江戸末期)は26ケ寺を数えたと言われている。最初は真言宗の長谷寺末寺だ ったが、現在は法隆寺北室院の末寺になっている。 この地区は平日予約していないと製茶工場、炭作り、漬け物作り、木工、陶器・磁器 製作等の見学は叶わないと言う。この日もバスを降りた人は我々以外には一組程度 だった。太安万侶墓付近には茶畑もあり、ココで成瀬監督製作の「殯の森」ロケが おこなれていた、と言う。田原東稜から太安万侶の墓に進む。トイレもなかった墓の 側には真新しいものが立っていた。墓はかなりの急勾配を登り、やっと辿り着くという 感じだった。丁度昼食時となったので平らなところを選んで昼飯を摂った。 一呼吸入れる世話役は、田原磨崖仏を見る五名のシニアを待っていることし、春日 天満宮で再度落ち合った。その後、大和棟の松本邸を見、田原西陵、側の万葉歌 碑を確認、もう一バス停先にある万葉歌碑を見るというシニアを見送り、世話役は田 原御陵バス停から乗車、合流して奈良へ戻った。歩数計シニアは約10キロ程度だと 言っていた。小生は8キロ程度にはなっているとの由。一人は先に帰ったが我々は 駅前の居酒屋で打上会。11月にはもう一回なら歩楽歩楽会を実施することとなった。 一頻り飲んだ後、飲み足りない三人は西大寺駅で更に杯を重ねた由。 |
23.11.17 滝坂入口”春日道”散策 漸く秋も深まりだしたこの日、シニア六名で春日神社深くを散策した。この日も好天 だったが、奥深くに入っていくと、日陰はひんやりとして寒くなって来るようなな感じだ った 小生の体調もまだ万全とは言えないので、小生は途中でUターンの積もりだったが 上記の感じと紅葉にはもう少し時間がかかると思われたこともあって全員が元来た道 を引き返した。春日さんの若宮の上へユックリペースで登っていった。 有名な石仏達手前の妙見宮当たりで昼を摂って、どうするとなった際上記のように引 き返すことに一致。 時間的には早かったので、最近開館された東大寺ミュージアムへ回った。 修学旅行生が大勢来ていた。この先寒くなるとこれらの旅行生も奈良には寄りつかな くなってしまうだろう。ミュージアムには三月堂の佛が鎮座していた。 これだけではやはり寂しそうな感じを受けた。 午後3時過ぎには、近鉄奈良駅側の何時もの居酒屋でワイガヤで盛り上がり、約2時 間楽しんで散会した。西大寺駅で更に飲む二人連れもいたがーーー? |
23.11.25 談山神社〜明日香 先週に引き続き、久し振りに談山神社の紅葉見物にシニア六名が繰り出した。 今回は東京の御仁に入れ替わり、O婦人が入っての六名であった。 平日にしては、観光バスも結構繰り込んでいて、中国からの団体客もいた。 この日も予報のように寒くなく割合暖かかい一日であった。 しかし、神社周辺の人も言っていたとおり、紅葉そのものが遅れ気味で、色づきも今 一つの感がした。遅くまで暑くて、急に冷え込んだりとかが、理由のようだった。 我々はモミジを見た後、明日香へ下って行った。約10キロ地点に明日香の打上古墳 と言うのが有り、他の五名はそこに立ち寄るという。小生は近くとは言え、急坂もある というのでそこへは行かず先に村の健康センタ行きの「かめバス」を待って、先回りし た。神社からも坂道を下ってきたので、やはり足に疲れが出ていたようだ。 1時間強待つと一行が到着。近鉄飛鳥駅に出て、男達だけで八木の飲み屋へ立ち 寄り、約2時間ばかり駄弁って散会した。 |
23.12.16 五位堂〜志津美間散策 寒さが一段と冷え込んだこの日、シニア男性五名で近鉄五位堂駅に集合、当初は王寺駅ま での約10キロを予定して散策に繰り出した。 しかし、冷たい風で歩が進まず、昼飯も各自握り飯等を持参していたものの、暖かいファミレ スに入っての食事を摂る始末。ただ、時には晴れ間も出て幾分かは気が晴れたりした。 小生は、志津美神社当たりで足が痛くなり、一足先に王寺駅へ出ようとしていたら、全員が そこで行進をやめることとなった。予定の約半分程度の散策であった。時刻は時に4時前。 7〜8分JR線で王寺に出て、笑笑(ワラワラ)に腰を降ろしひと息ついた。ここも4時から店を 開けていた。しかし、他に入っている客は誰もいない状態が五時半くらいまで続いていた。 時間的な余裕から、我々は二時間半程度は駄弁っていたーーー? |