22年つれづれ
22.1.5山の辺の道 古墳巡り他

今年初めてのなら歩楽歩楽会は、山の辺の道の天理〜柳本を散策。
遠路東京のシニアが飛び入り参加し、こちらでも新顔が一名参加して
総勢九名の参加者で天理駅からスタートした。まだ晴れ間の見えたものの、
やはり予報通り雲が出てきたり、風が強くなって来ていた。
古墳に詳しいM氏指導で、西山古墳、峯塚古墳、東・西乗鞍古墳を
まわり、内山永久寺にも立ち寄った。昼を天理観光農園でと思い
歩を進めたが、休業だった。腰掛ける場所までまだ距離があるので
ここで昼食を摂った。
吹きさらしの場所だけに食べ終わると同時にすぐ再スタート。
芭蕉の句碑がある藤棚にまわり、再び古墳を探しながら行っていない
古墳を数カ所巡り、本来の山の辺の道ルートに戻って波多子塚、
西山塚、西殿塚(袴田稜)を回る。
長額寺に立ち寄ったのは、午後3時頃だった。天理駅での打ち上げには
時間があるので、いつもの卑弥呼庵に寄ろうとそちらに回った。
茶筅をスプーン代わりに使う風流なコーヒーで喉を潤し、昨年末の巻向
遺跡の発掘アルバムを見せてもらったりして短時間の休息をとった。
夕刻の列車に間に合うように柳本駅へ急ぐ。5時7分の列車で天理駅に
戻った。今年は駅前イルミネーションもやや規模を大きくし、美しく
飾り立てていた。居酒屋には七名が繰り込み、ワイガヤで盛り上がった。
東京からのシニアはこの夜は天理泊まりとのことだった。
 

22.2.18 斑鳩周辺

曇りか雨に降られると思った天候が晴れに変わったこの日シニア七名が
平端駅から法隆寺方面に繰り出した。駅からものの5分程度の処にある
筒井順慶の五輪塔に立ち寄り、駅からやや西南にある額安寺、推古神社、
額安寺五輪塔、額田部の窯跡とまわり、安堵町の歴史資料館に行った。
この資料館はHPに載せた今村家を町の資料館として再開設したとの
ことだがその中に今も脈々と受け継がれている灯心つくりの一齣が展示
されていたのが印象に残る。藺草の表皮の中のズイを取り出したのが
灯心だという。
古くは湿田の多いこの地にも栽培農家が多く一大生産地だったというが、
現在は茨城県産を取り寄せ、熟練者が灯心引きを継承しているという。
東大寺の修二会にはなくてはならないものだし、元興寺にも納められて
いる由。
夏の地蔵盆の際にも伝統行事を支える役目を果たしている。このあと
太子道を抜け、天理軽便鉄道橋桁跡を見ながら二基の古墳見物のあと、
しばし喫茶店で休憩、中宮寺跡にさしかかり、偶々作業中の発掘現場を
眺めたことも今回のトピックとなった。一〇名程度の人々が地道に作業して
いる様子もジックリ眺めることが出来た。翌日の新聞に、町の教育委員会が
塔の中心を貫く心柱を立てるために使ったやぐらの柱穴とみられる遺構が
見つかったことを報じていた。
法輪寺の三重の塔を遠くから眺め、山背大兄王の墓説明板を探したが
見つからずだった。この付近で一雨に見舞われたが短時間でやみ、
斑鳩神社に詣でる。
参加者の一人が総代をつとめる神社でもある。
境内でサイレンが鳴り出し、出てみると法隆寺方面からモクモクと煙が
上がっているのが見えたが、大事には至らなかった様子だった。
時に午後三時40分頃だった。
法隆寺境内から、斑鳩大塚古墳、伊弉冊命神社を回り、斑鳩町役場近くの
業平井戸を見た当たりで今回のコース見学を打ち上げとした。
バスでJR王寺駅に出て、側の和民で反省会、参加者七名全員でワイガヤで
盛り上がり午後七時過ぎに散会した。

 
22.3.12 蕗の薹収穫

 待ちかねた蕗の薹刈りに昨年目星をつけていた市尾から御所間の
某場所にシニア六名で出かけた。 昨年の場所は、今年も既に誰かに
刈り取られていてここでの収穫は出来なかった。
仕方なく「野蒜」を採ったりして次の目的地秋津遺跡跡を目指していて、
ひょっと見ると、斜面のあぜ道に伸びた蕗の薹を見つけた。
そこへ踏み入れると、まだ芽を出していないものも見つかり、やっとのことで
そこで参加者全員の収穫量を確保出来る蕗の薹を得ることが出来、
この日の目的を達することが出来た。
野口神社、鴨都波神社を巡りながら、かもきみの湯行きのバスを待ち、
健康ランドで一風呂浴びて近鉄高田駅まで引き返し「八剣伝」で反省会。
晴れ間も覗き、夕刻には曇り空とはなったが、やはり本日の収穫に満足の
顔、顔で盛り上がった反省会となった。

22.4.1大和(オオヤマト)神社ちゃんちゃんまつり

雨予報で一旦中止とした大和(オオヤマト)神社ちゃんちゃんまつりにたった
二人で出かけて行った。予報とは裏腹にまつり見物のはじめまでは雨に
降られず仕舞。唐古鍵遺跡周辺にも石見遺跡展示とか由緒ある鏡作神社
とか寺のはじめという法起(貴)寺とかがあり、このあたりも弥生時代の往時を
忍ぶものが多数ありやはり一度は見物しておくべき場所の一つであった。
大和神社には人が多数集まっていたが、周りで話している様子から見ると
今年はそれほどでもない人数のようだった。
雨が降り始めはしたが、傘が必要という風でもなかったため、そのまままつり
見物していた。猿田彦に扮した人が最初に出てきて、天理市長が跨がる
馬行列、近在の集落ごとの幟等が連なり、最後に子供御輿が出て行った。
我々は、一行にはつかず、神社裏手から先回りして、集落ハズレに出て
一行を見送り、その脇をすり抜けて、そのままJR柳本駅へ向かうこととした。
時間的にはまだ2時半頃で八木の反省会には早かったので八木に
ついて暫し喫茶休憩をとった。その後、4時過ぎから天まであがれに入り
おいてもらった焼酎等で約2時間ばかり二人きりの酒盛りをした。

22.4.13 榛原〜高井 伊勢本街道

久しぶりに八名が参加しての散策行。雨続きの天候からやっと降られずに
すみそうな一日の振り出しは、八木駅から始まった。
大阪方面から二名が電車に乗ってきて榛原駅で合流。幸い歩いている
間は降られずに済み、悟真寺での昼食時には陽がさしたりしていた。
伊勢本街道歩きの細切れ散策も、この日で山の辺の道から現時点での東端
三重県南町柿野あたりまでつながることとなった。
仔細には大阪玉造から生駒当たりまでは歩いていないので完全踏破とは
言えないがーーー。
しかし、こうして歩くと古事記に出てくる神社仏閣から江戸時代当たり
までの書画骨董品を目の当たりにすることとなり、改めてわが日本の
文化水準の高さを見直す契機となり、まだまだこれらの維持保存に力を
入れていかなければと思う。
今回歩いた距離は5〜6キロに過ぎなかったが、高井着時には急に
曇りだしたため、到着バスに乗り込み榛原駅にもどることとした。
駅側のミスタードーナッツで美榛苑送迎バス待ちをし、一風呂浴びに
美榛苑へ。風呂に浸かっていた間から降り出した雨は榛原駅でも降り続
いていた。我々は幸い振られずの一日で好都合だった。
ゆっくりの一風呂でもなかったが参加者全員サッパリしていつもの八木駅へ
帰ってきて反省会を開いた。時間的にものんびり食べ飲んで約3時間、
久しぶりの微酔いで一同帰途についた。

22.4.29 巻向山へ
久しぶりの参加者も参加しての10名で、いつもは車窓からのみ眺めている
長谷寺駅から巻向山登りに出かけた。
快晴のこの日、この山に登る人はやはり少なく、我々以外に山に向かう
グループはほとんど見かけなかった。
初瀬山が見える白河集落脇を抜け登っていった。途中までは舗装路、それを
離れると普通の砂利道となり、更に山道と変わる。
神社らしきものがあると踏み入れたが、近道でもなく、行き止まり。元に戻って
巻向山方面に向かう。漸くのことで高山神社側に出たのを幸い、昼食。
食後、巻向山に再度挑戦。地割りのした山道と放置された車の側を通って
登っていった。頂上への矢印をもう少しで見落としそうであったが、登り道に
出会う。この登り道も危なかっしいところがあり、頂上も周りを雑木に囲まれ
周囲を見渡すという景観の良い場所ではなかった。
下りは巻向方面に向かう。奥不動院まで降りると30名程度のサクラ見物の
団体客が宴会風の賑やかさでワイガヤをやっていた。
巻向までの舗装路をただ歩いて歩いて漸くのことで県道に出た。
ここでも近道を通るべく入っていったが、途中で引き返しに。しかし、
この道からの初瀬方面、三輪山の眺めはすばらしい一面を見ることが出来た。
県道脇の喫茶店で一休みし、JR巻向駅へ。
ここからはいつもの八木駅前へ。久しぶりの参加者で盛り上がり一息つけた 。

22.5.21 ツツジ真っ盛りの葛城山
シニア六名で快晴の今月21日葛城山のツツジ見物に繰り出す。
電車、バスとも満員、更にロープウェイ乗り場は押しかけた登山客が1〜2時間
覚悟の待ち合わせでごった返していた。
漸くゴンドラに乗り込んだが、頂上駅に着いたときは早や正午過ぎ。
降りて少し行った休憩所ですぐ昼食をとり、頂上方面に向かうこととした。
押しかけた登山客の中には乳母車に乗せての小さい子供も多数見かけた。
上っていくと白樺食堂があり、ここも大勢の人で一杯。
我々は、頂上に向かう。上には大きな「葛城山」と書いた標識と周りを見渡す
際の展望図もあったが、肝心の三角点はすぐ横に小さく埋め込まれていた。
ツツジ園は葛城ロッジの前に大きく広がり、今を盛りに真っ赤な花を咲かせて
いた。こんな風に丁度満開という光景はあちこちの花を見てきたが、今回が
初めてと言っても良い?絶好の日に当たった。
グルッと周囲を回り、ツツジばかりの中を下からロッジの前に進んだが
ロッジに出てくると、立ち入り禁止とあった。我々は下から上がってきただけに
これは気づかない位置に立てられていたことになる。
新聞社のヘリも飛んでいたが、二時近くになり下りることとした。新登山道の
緩やかなルートを選んだが最後当たりの坂は急続きでやはり足に来る道で
あった。駅には臨時バスに乗り、打ち上げ会は八木のいつもの店で開催した。
花見としては最高の日和でもやはり暑さも格別の一日だった。  

22.5.31 伊勢街道 大石から柿野
あと少しの所で伊勢神宮に到達出来る段階になってきた。シニア五名で
今回は、柿野から相可間の伊勢本街道歩きに出かけた。初日のこの日は、
昼頃松阪に着き、メインの深野の棚田見物としたが、少しでも歩いておこう、
と大石バス停から柿野までを逆走した。本来なら、以前到達している柿野から
大石まで歩くところを逆に歩いた次第。
田植えも終わり稲が風に揺られている風情もまた格別のものがあった。
棚田見物後、今夜の宿である高光館に迎えに来てもらい、前回も泊まった
宿に落ち着く。少ししか歩いたいなかったがやはり歩いた跡の一杯も旨かった。 
22.6.1 伊勢本街道 大石から相可
二日目は、雨で明けた。早々に大石バス停まで高光館の車で送ってもらい、
今夜の泊まり相可の鹿水亭目指して歩き始める。
昭和39年まで走っていたという軌道が現在の歩きの街道となっている。
少し歩いてコンビニに入り、昼食等買い込んで国道脇の小さな峠を越え
上茅原神社に立ち寄り、次の集落茅原で茅原神社にも参拝して
帰りがけに見かけた老婦人と駄弁った。その老婦人が言うには、ここは
住みやすく良いところだと言っていた。公民館にも立ち寄り、立派な講堂と
ステージには驚いた。
この集落の菩提寺である帰命寺にも立ち寄り、次の津留の渡しに向かう。
偶々「はかり岩」に流木が乗っかり変わった風情を見ることが出来た。
茅原集落の人が何十年かに一回程度のことだとも話していた。
この頃まで降っていた小雨はいつの間にかやんでいた。
昼食後歩き始めて地元の人に教えられてよく見ると古道が民家の軒下を
潜るように通っていた。我々もそこを歩く。
国道を潜って鍬形不動院に立ち寄り、今度は櫛田川を左に見ながら
相可方面に向かって歩いた。
雨上がりの後は、結構暑くなり自販機探しの一齣ともなった。伊勢の三郎松を
越えてやっと見つけた自販機で各自ビールやジュースにありつき一息入れた。
再度歩き始めた時に軽四に乗ったご婦人がわざわざ車を止めて街道歩きの
我々にこの近くの山からは天気が良ければ富士山が見えるよ、と教えて
くれたが、とてもそんな余裕はなかった。
相可高があり、暫し西行碑などを見て、相可の町中へ入っていった。
「まつさか餅」看板を見つけ、入るとここだけでしか売っていなく日持ちが
しないとかで一個100円の菓子餅を全員が注文、ホッと一息ついた。
鹿水亭はこの餅屋からも見えていて、我々は直ぐ旅館に落ち着くことが
出来た。暫し、休憩したあと、まだ早いので上相可神社等を見て回った。
相可の常夜灯見物と寺巡りに分かれたが、5時頃には一同が旅館に帰って
いた。一風呂に浸かり、鮎ずくしの夕食には堪能もし、閉口もした鹿水亭
名物のお膳だった。 
22.6.2 伊勢本街道 相可から田丸
泊まった鹿水亭の玄関先で館主とも雑談しながら、ここを後にして今回の
目的地点である田丸を目指した。この日は快晴でかなり暑い日となった。
高速道を潜り、麦秋の中を紀勢本線目印に池上の金粒丸本舗跡、大常夜灯
目指して歩く。紀勢本線を越えたすぐの処に水分社がまつられていた。
池上集落も人を見かけることなくひっそりし、どことなく寂しい感じがした。
参宮線を越えると伏拝峠に向かうが、ここで土羽集落の御船神社と龍雲寺に
立ち寄るべく畑仕事をしていた土地の人に道順を尋ねる。親切に仕事を
中断、地図を見ながら丁寧に教えてくれた。立ち寄ってここまで戻った時には
その人はいなかった。
土城田にある榛原神社も探し探しで立ち寄り、ひたすら田丸へ向かって
歩を進めた。玉城町役場、田丸神社等の側を通るが、ここを詳しく見るのは
次回歩きの時と決めていたこともあって、JR玉置駅へ急ぐ。
駅到着は12時過ぎ、列車時間もたっぷりあると判明したので、昼食兼打上を
駅近くのそば屋でやっていこうと一決。約一時間強ここでワイガヤ、次回
歩きの構想等しゃべりあってJR線で松阪駅へ戻った。喫茶店でひと息入れ、
上六行き急行に乗り込み、一路帰途についた。

 
22.9.28 秋の散策開始 若草山・鶯塚古墳他
※ナビ役不参加の散策でしたが、ここには参加者の感想等を転載しておきます。

昨日の若草山や春日山原生林を迂回するコースを辿りましたが、静寂な樹林帯の中、人にほとんど出会うこともなく、快適な散策でした。また鶯塚古墳から遠望する葛城、二上山、大和三山、生駒山、矢田丘陵の山なみは素晴らしく、また
再訪したい景観でした。帰りは東大寺を経て、日吉館横の飛
鳥園に立ち寄りましたが、会津八一の歌碑
 かすがの の よ を さむみ か も さおしか の
 まち の ちまた を なき わたり ゆく
を初めて拝見し、一寸感動した次第です。

このあと、奈良の天まであがれにてナビ役も参加し八名で打上会を開催。遠路参加してもらった御仁もいて、いつになく晴れやかな反省会兼打上会となった。散会時、別途二次会的なところを巡ったメンバー?もいたようだが、久しぶりの再会に一同心地よい風情と感じられた。
 

22.10.7 東吉野短歌歌碑めぐりと一風呂
なお、今回が累計130回目の散策行となります。ナビ役不参加の散策でしたが、ここには参加者の感想等を転載しておきます

10月7日、秋晴れの下、5年ぶりに東吉野を散策した。前回は木津峠から鳥見霊畤を経て鷲家口までを歩いたが、今回は句碑めぐりを主な目的として、東吉野小学校からやはた温泉まで約8qをのんびりと散策した。途中で拝見したのは句碑7基、歌碑2基だったかと思うが、やはり心に残るのは、原石鼎庵周辺で見た「頂上や」、「花影婆裟」、「かなしさは」の3句の句碑。石鼎庵は、東吉野教育委員会に電話をしたら、初老のガイドの方が駆けつけてくれ、石鼎庵のほか、隣接の小学校廃校跡の歴史資料館も案内をしてくれ、その親切さにも頭の下がる思いがした。ただ以前の訪問の際にお世話になった管理人の老人は3年前に亡くなられたとのこと、何か、歳月のはかなさを感じさせた。
         
 頂上や 殊に 野菊の 吹かれおり
 その後、丹生川上神社を訪れ、歌碑、句碑などを拝見。ここは古代、吉野離宮があった地とされ、神社一帯もその風格を感じさせる。しかし宮滝の吉野宮址との関係でいつも論争の的にもなっており、後の反省会でも大いに話題となった。
神社からしばらく行くと、東の滝に山口誓子の句碑を遠望したが、時間の関係で省略し、やはた温泉に向かう四郷川の道を少しピッチを上げて歩く。途中、三尾口の小さな神社で森田峠の「よき渕へ」の句碑を拝見。その後、やや単調な車道が続き、狭戸のトンネルを越えると大豆生(まめを)の集落に入り、午後2時半頃、ようやくやわた温泉に到着。やはた温泉は廃校となった小学校の施設いったいを「ふるさと村」として再生したものの一つで、渓流を眺めながらの一風呂は旅の疲れを癒すのに十分な一時であった。
 帰路は予定より1本遅い午後4時40分の榛原行きバスに乗った。そのため、大和八木でのいつもの反省会は6時過ぎから行われたが、私を除けば、論客揃いの面々、いつまでも酒談の時が続いた。
 

 ※上に載っている俳句のあと二句は以下のとおり
     花影婆娑(ばさ)と踏むべくありぬ(そば)の月
     かなしさはひともしごろの 雪山家
22.11.11 馬見古墳群めぐりと緑化フェア
 ※ナビ役不参加の散策でしたが、ここには参加者の感想等を
  転載しておきます
築山駅から、まず、馬見丘陵公園とは反対側の築山古墳および周辺の古墳群を探訪します。前方に築山古墳が現れます。全長210mの前方後円墳です。
手持ちの地図には「武烈天皇御陵」と記されています。
築山古墳手前左手に築山児童公園。ここも古墳(カン山古墳)です。
大和高田市から広陵町に入ります。広陵町は、靴下の町です。
新山(しんやま)古墳(大塚陵墓参考地) 全長137m 前方後方墳、鏡34面出土 、新山古墳の南端の路地を辿ると、地図にはない小さな公園に出ました。
みささぎ公園です。古墳3基が保存されており、近くの黒石13号古墳の石室が移設展示されていました。道路を渡った先にも小さな公園、かろうじて「黒石公園」と読め、円墳2基が保存されているようです。地図にない古墳に出会わし、所在がわからなくなり、ちょっと道に迷いましたが、ちょうど12時に見立山公園にたどり着きました。直木幸次郎さんの「奈良万葉を歩く」では、「三立岡伝承地」 「伝高市皇子墓」と紹介されていますが、案内板は見当たりません。
真美ヶ丘中学校の東側を北上、横峯公園に突き当たります。横峯公園を突っ切って進むと、ねずみさん公園に出ました。右前方あたりが佐味田宝塚古墳のようですが、先に、西側の牧野古墳を訪ねます。牧野史跡公園は、うまさん公園です。
佐味田宝塚古墳はこの直ぐ北方、雑木林を突っ切ることにしました。
前回散策で訪れなかった主な古墳の探索を終え、緑化フェア開催中の馬見丘陵公園に向かいます。南東 新木山古墳(三吉陵墓参考地)
       後方かすかに大和三山
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佐味田川を越えると、馬見丘陵公園です。馬見丘陵公園では、緑化フェアが開催中でした。出展されている庭園や花壇を鑑賞後、池上古墳の脇を通り、箸尾駅に帰りました。新木山古墳(三吉陵墓参考地)、三吉石塚古墳、巣山古墳は、前回散策時に見ているので、今回は省略し、馬見丘陵古墳を北上、ナガレ山古墳の墳頂で黄葉に彩られた古墳群を楽しみました。
高田川を渡ると、箸尾駅はすぐです。八木駅に出て、「天まで上がれ」で反省会。
22.12.16 尼ヶ辻駅〜喜光寺〜高の原駅 
今回は幹事も眼の炎症から急に不参加となり、以前からの治療に努める世話役も不在でいつものナビ役が東京からのシニア他計10名の散策となった由。

宝来山古墳(垂仁天皇陵)の濠に出ると、傍らに、囲われた空き地。
宮内庁管理、陪塚ほ号。墳の濠には水鳥がたくさんいました。マガモやコガモはなんとか区別つくが、久々のシニアレディにキンクロハジロ、ヒドリガモなど教えてもらってもすぐに忘れてしまう。
垂仁天皇陵北端から西に向かって歩み、第2阪奈道路宝来インターの手前に安康天皇陵。蓬莱山仏願寺、歯痛地蔵、伏見山西圓寺(読み たぶん さいえんじ)を通り、暗越奈良街道を垂仁天皇陵近くまで戻ると、宝来東バス停前に垂仁天皇陵陪塚い号 兵庫山古墳。その東を北に向かうと国道308号新道に出て、対面が喜光寺です。本年5月落成の南大門が国道沿いに建っています。
10月31日には境内に会津八一の歌碑が建立されました。歌碑や仏像を熱心に見ていると、お寺の方から、「熱いお茶がありますよ」と声をかけていただきました。
写経道場建物に案内され、お茶をいただき、ちょうど昼食時だったので、厚情に甘え、法話室で弁当を食べさせていただきました。
奈良市歴史の道に戻り、秋篠寺に向かいます。途中、自転車に乗っては通りがたい狭い路が2箇所あります。
喜光寺前国道歩道橋上や垂仁天皇陵辺りからは、生駒連山がきれいに展望できるのですが。
秋篠寺の西側から、秋篠町の家並みを少し迷いながらも奈良工業高校跡に出て、バス道を辿り、願心寺の案内板に従い三叉路を左にバス道を離れ、願心寺経由で、押熊町の八幡神社に着く。八幡神社の東側に伝忍熊王墓があります。忍熊王は、仲哀天皇皇子で、継母の神功皇后が三韓征伐から腹違いの弟(後の応神天皇)を連れて凱旋するときに、皇位を争い、滅ぼされた皇子です。
勝者である応神天皇を祀る八幡神社の傍らの小さな墓域です

平城ニュータウンに入り、押熊瓦窯跡、万葉の小道、石のカラト古墳を見学し、高の原駅に戻った。打上会は駅側の近商スーパー内にある焼き鳥店で約2時間ばかり
駄弁ったりして散会した。これに世話役も飛び入り参加した。

 
 

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