立ち寄った杵築神社鳥居 |
拝殿?中のもの 見られず |
次に寄った不退山 安養寺石標 |
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安養寺拝殿 |
由緒ある庚申講の燈籠 |
庚申堂金輪院 地元の人のグループ 説明役の話に聞き入る |
天井川である富雄川 側に立つ鐘楼 |
慈光院入り口 |
移築された摂津茨木城の桜門 |
今回は城門から 中の茅葺き屋根を見る |
庭園説明板 |
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寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。慈光院の名は父・ 貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られた。慈光院の名は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られた。 小丘の上に設けられる石敷道は山門 楼門より更に玄関及び庭園に導かる。客殿 (重文)前は平垣にして周囲に大刈込 築山 庭石 まつ ひのき かし つばき つつじ さつき等の樹木を配し石敷道と歩石とは客殿と庭門とを繋ぐ。客殿より東方に奈良平野の田畑と山邊高地の遠山との廣?なる借景を有す。茶室(重文)前には多数の歩石と躑躅手水鉢(重文)とありつつじの丸刈込を添う借景 大刈込を本位とせる庭園として優秀なるものなり |
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道路側からの法起寺 |
裏側からの法起寺 |
眺める参加者 |
法隆寺仁王像 |
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人気のない回廊 |
藤ノ木古墳全景 |
古墳説明板AとB |
藤ノ木古墳は法隆寺西方約400メートルに所在する直径50メートル以上、高さ約9メートルの6世紀後半の円墳である。1985年発掘調査開始、南東方向に開口するする 全長13.95メートルの両袖式の横穴石室で、玄室の奥壁近くに全体を朱で塗られた二上山の凝灰岩製の刳抜式家型石棺が横向きに置かれていた。石室内からは、世界でも類例をない装飾性豊かな「金銅装透彫鞍金具」に代表される馬具のほか、武器や土器等の遺物が出土し、一躍世界から注目される古墳となった。 |
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龍田神社にて |
神社前の当麻街道 |
吉田寺標識 |
極楽橋を渡って境内へ |
境内にある三重の塔 |
本堂 |
みむろ公園にて 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田川の錦 なりけり =能因法師 千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水く〃るとは =在原業平 |
みむろ公園頂上にて 説明板に見入る一行 |