茶筅の里・高山

高山竹林園看板前にて

園内説明板

資料館方面

展示されている茶筅の数々
    
茶筅工程のあらまし
(写真を撮っているので写り悪し)

竹製品の数々

茶道具

園内にも干してあった竹
円楽寺跡
華厳宗円楽寺は、鷹山氏の菩提寺として盛時には広大な敷地を有し、強い勢力を持っていたようであるが、その縁起は不詳で、今はわずかに鷹山氏とその関係者の墓を残すのみである。
ここには、聖武天皇の創建以来、二度の兵乱で焼失し、約百三十年間、風雨にさらされたままであった奈良東大寺の大仏さまを、江戸時代中頃、将軍綱吉の助力と多くの民衆の支援を受けて再建した高僧公慶上人の父母である頼茂大徳、妙徳大姉の墓があるとされいる。
この寺を菩提寺とした鷹山氏は高山特産の茶筅との関係が深く、茶筅は室町時代、鷹山城主大煩介源頼秀の弟の民部丞入道宗砌によって創作されたと伝えられている。宗砌は親密な交際のあった奈良称名寺の村田珠光の依頼を受けて、山間に密生していた細く質の堅い淡竹を加工して造り、それを後土御門院に献上したところ、その精巧な出来栄えを激賞され「高穂」の銘を下された。珠光、宗砌は感激して帰り、村民に伝えると、歓喜する村民は以降村名の鷹山を「高山」に改めた。
高山家がその後の兵変で落城した後は、家臣は武士から離れて茶筅師となってその技を秘伝として今日に伝えるとともに「無足人座」を結成して。中本寺の法楽寺とともに木の墓を守っている。
  


巧竹庵
竹と同集成材を使った
茶室

円楽寺跡説明板前にて

昼食を摂った「鶴亀庵」

法楽寺参道
本堂は現在工事中
富雄川縁の歩道を行く 
法楽寺山門


法楽寺説明板
本尊は薬師如来座像
行基菩薩の建立

手前左手にある講堂

境内に咲くサザンカ

講堂横の鐘楼

田んぼにも竹を干している

高山八幡宮へ

山門と参道
  
  入り口近くにある
狛犬

この階段を上ると本堂等
がある

八幡宮説明板
奈良時代平城に移す際にかりに祭られたのが始まり
茶筅の「無足人座」結成も
こことか。

三間社流造本殿
(サンゲンシャナガレツクリ)

本殿の一部

本殿の一部

八幡宮由緒
奈良時代に八幡大神が中央進出の際して便殿の頓宮を置いたのが八幡宮鎮座の始まりとか記載してある。既に1250年前からのお宮で関西での八幡宮の草分け的存在。本殿は重文指定ながらやや荒れ放題と見たがーーー。

長弓寺鳥居
神仏混交の
伊弉諾神社銘を刻む

四坊の一つ
薬師院

四坊の一つ円生院

長弓寺本堂

長弓寺鐘楼

弘安2年1279
建立の入母屋造・檜皮葺の
本堂(国宝)

四坊の一つ法華院

四坊の一つ
宝光院

塀もない脇門?

案内書にも出てくる
法華院の土壁

土壁を撮る参加者

王龍寺山門

王龍寺本堂

市指定文化財の
コジイ林(奈良市西部の
数少ない自然林)

飛鳥カントリ側に
建つ王龍禅寺の石標

樹齢250年の
ヤマモモ樹

茶筅の数々 
 トップに戻る