藤原京〜阿部文殊院

本薬師寺案内板

本薬師寺説明板

本薬師寺跡内

本薬師寺跡の石柱跡

藤原京西面大垣説明板

北方にある耳成山

藤原京と大極殿説明板

藤原京跡石版

東方にある香具山

国立文化財研究所の発掘現場

国立文化財研究所
飛鳥藤原京跡発掘調査部

持統天皇創設石碑

舒明天皇歌

香具山山頂へ

万葉の森「山上憶良」  
 
同左 柿本人麻呂歌

同左 作者不詳 

同 大友旅人 

同 大友家持 
これらは著名人が書いた一部の万葉集の歌碑である
そばには植物も植えられ
説明書きもある

 御厨子観音標

大津皇子辞世の歌と
観音東にある
「磐余の池」跡説明板
 

御厨子観音 
 
阿部寺跡説明板

榊莫山筆表札  


阿部文殊院本堂 
 
文殊院浮御堂
   

                

          磐余の池を通り過ぎて

   先日、藤原京址から香具山を経て、念願の磐余の地を踏むことができた。
   リーダのU氏の説明によると、この辺りが大津皇子の辞世の歌に出てくる
   「磐余の池」のあった場所らしいとのこと、そのことを思わせるように、道野
   辺の一隅に入江泰吉の書による歌碑
   「ももずたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
   がそっと建てられていた。
   磐余の地は、大津皇子の宮、正式には磐余訳語田(いわれおさだ)として
   知られているが、中西進氏の本によると、磐余の語源は、神武天皇の和風名
   カムヤマトイワレヒコに由来しているとのこと。とすれば、この辺りは飛鳥以前
   の古い聖地であったとも推測される。
   私は万葉集の中で、柿本人麻呂などの宮廷歌人を除けば、大津皇子 と
   その姉の大伯皇女の歌が忘れがたく好きである。今年の夏、二上山にある
   大津皇子の墓を詣でたが、確か、そこに大伯皇女の歌碑「うつそみの 
   人にあるわ れや 明日よりは 二上山を弟世(いろせ)とわが見む」もあった
   と思うが、私の錯覚か。晴れた日には、この磐余の地から二上山が見渡せ
   る。そういう感慨を胸に秘めな がら、磐余の地を通り過ぎ、安倍文殊院の
   ある桜井方面へと向かった。
                                    参加者の一人の感想文 

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