晴れ渡った生駒山 今年の紅葉は色づきが良い |
道ばたのモミジ |
竹林寺のモミジ |
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近鉄生駒線東山駅 |
駅頭にてルート打合せ |
暫くは線路沿いに |
鈴なりの柿 |
一駅生駒方面へ(萩ノ台駅側) |
宝幢寺(ホウドウジ) 登り口の一行 |
同寺拝殿 |
融通念仏宗の寺院。山号は龍護山。本尊は地蔵菩薩。 この寺の創建年代等は不詳ですが、奈良時代の僧 行基によって創建されたと伝えられています。当初は真言宗の寺院でしたが、江戸時代後期の文政年間(1818年~1830年)融通念仏宗に改められました。本堂は、室町時代前期に建てられたもので、重要文化財指定。 【ナビ役説明文より】 |
暗峠に通ずる国道(傾斜道) |
路地から見えた 生駒南中の天文台 |
行基菩薩廟往生院 (オウジョウイン)標 |
墓地の一角に立つ 行基菩薩像 |
往生院 奈良時代の僧行基を火葬した地と伝えられています。中世以降生駒谷10郷の惣墓(そうぼ)となりました。正元元年(1259)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)(重文)は県内最古。 【ナビ役説明文より】 |
民家一角の公園にて昼食 |
田んぼの白鷺 |
円福寺は下記の事情 から本堂を見て早々に退散 |
竹林寺参道 |
参道途中の前方後円墳 説明板 |
円福寺(上右) 龍崋山(りゅうかさん)の山号をもつ真言律宗の古刹です。寺伝では、天平勝宝年間(749~757)に、行基によって創建されたと伝えられています。しかし、幾度も火災に遭い、創建以来の寺歴は明らかではありません。本堂は室町時代初期の建築、重要文化財に指定。本堂内部には、平安後期の作とされる、木造の十一面観音立像が安置されています。 【ナビ役説明文より】 |
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竹林寺本堂 この日は尼さんが勤めておられ話を聞くことが出来た |
竹林寺 竹林寺は、奈良時代の僧・行基(668~749)の開基と伝えられています。境内にある行基の墓は、国の指定史跡となっており、ほかに鎌倉時代の僧・忍性(にんしょう)の墓や石造物などがあります。 【ナビ役説明文より】 |
行基墓 |
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奥に鎌倉時代の僧 忍性も葬られている |
Hシニア筆のクレヨン画 行儀像 |
同左筆 竹林寺にある文殊菩薩を 守る5体の仏たち |
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往間(イコマ)大社 |
同左 由緒書 |
往馬座伊古麻都比古(いこまにいますいこまつひこ)神社 往馬大社(いこまたいしゃ)とも称し、生駒神社(いこまじんじゃ)と通称される。 祭神は、生駒山の神である伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神、および氣長足比賣命(神功皇后)・足仲津比古命(仲哀天皇)・譽田別命(応神天皇)・葛城高額姫命(神功皇后の母)・息長宿禰王(神功皇后の父)の7柱です。 古くは伊古麻都比古・伊古麻都比売(いこまつひめ)の2座でした。しかし、後の世で八幡信仰が盛んになり、付近に勧請された八幡神を合祀することによって、現在のような7柱を祀るようになったとされています。 |
伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神は古代より火を司る神として信仰されています。大嘗祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々当社が献上することとなっており、今上天皇の大嘗祭においても当社の火燧木が使用されました。『北山抄』『元要記』『亀相記』などには当社の神が「火燧木神(ひきりぎのかみ)」と書かれています。10月第2日曜日(元は10月10日)の例祭は「火神祭」と呼ばれ、龍田大社の風神祭、廣瀬大社の水神祭とともに古来より朝廷の崇敬を受けてきました。 【左ともナビ役説明文より】 |
本殿への上り階段 |
拝殿と本殿 |
春日葺本殿 |
雷に打たれた杉の巨木 |