(番外)正倉院正倉整備工事現場公開

上は受付時のパンフ表紙。   

覆屋の架かった正倉院正面 
  
東大寺南大門
 
正面入り口の
休憩所
正倉とは
正倉院正倉は,奈良時代創建の東大寺の倉庫のうちの一つであり,
北倉,中倉,南倉の三倉が集合する一棟三倉形式の建造物です。
創建年代を直接示す記録はありませんが,ほぼ天平勝宝8歳(756)頃には成立していたと考えられます。天平勝宝8歳は聖武天皇が崩御された年で,その七七忌にあたる6月21日に光明皇后が聖武天皇のゆかりの品々を東大寺大仏に献納し,正倉院宝物の始まりとなりました。
北倉は聖武天皇御遺愛晶が納まり,当初から開扉に勅許を要する倉,すなわち勅封倉でした。また,中倉も平安時代中頃までには勅封倉になっています。南倉のみは長らく僧綱(のち東大寺三綱)が管理する倉,すなわち綱封倉でしたが,明治8年(1875)に正倉および正倉院宝物が政府の管理下に置かれるに至り,三倉とも勅封倉となりました。
戦後,新しく近代的な宝庫が完成したことをうけて,正倉にあった宝物は,昭和35年(1960)までに,一部の唐櫨を除いて全て取り出されました。現在は,空調設備のある西宝庫(昭和37年竣工),東宝庫(昭和28年竣工)が宝物の収納・保存の役割を担っています。その後,平成9年(1997)には国宝に指定され,さらに翌年には「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。 

正倉の基礎柱

校倉造の一部 

南倉入り口部分 
 
中倉入り口部分
 
北倉入り口部分
 
飾ってあった鬼瓦の八面
北東隅一の鬼瓦=慶長
 
飾ってあった鬼瓦の八面
北東隅二の鬼瓦=明治
 
飾ってあった鬼瓦の八面
北西隅一の鬼瓦=慶長

飾ってあった鬼瓦の八面 
北西隅i二の鬼瓦=慶長

飾ってあった鬼瓦の八面
南西隅一の鬼瓦=天保

飾ってあった鬼瓦の八面
南西隅二の鬼瓦=慶長

飾ってあった鬼瓦の八面
南東隅一の鬼瓦=慶長

飾ってあった鬼瓦の八面
南東隅二の鬼瓦=慶長

今回パンフ書中の鬼瓦製作説明(右記記事共)
鬼瓦製作について
今回,北東隅棟の二の鬼瓦は割れが大きく,使用に耐えないため,北東隅棟の一の鬼瓦に倣い,新規に作り直すことにしました。
粘土を固めて鬼瓦を製作しますが,製作時の大きさは実際の大きさの13%も大きく製作します。乾燥させる期間で6.5%,釜にいれて焼く期間で6.5%も収縮するためです。
生型を作った後も,乾燥期間や釜入れでひびが入る可能性があるため,こまめに温湿度管理をし,焼き上がるまで気が抜けません。
 
葺き上がった瓦屋根部分

葺き替え後の形

完成形を展示
 
西倉建物
 
覆屋から東倉を眺める
 
二月堂に回って
良弁杉を見る

雨模様の奈良盆地  
西方を眺める


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