奈良市三条通 橋本町に建つ 県里程元標 後ろは興福寺 |
晴天の猿沢池 七不思議掲載板 「澄まず濁らず出ず入らず 蛙はわかず藻は生えず 魚は七分に水三分」 |
奈良町の猿田彦 神社(道祖神) |
道祖神説明板を 眺める今回参加者 |
ならまち まちかど博物館 落語館として営業 |
上ツ道沿いにある 「かみつみちべんとう」 |
奈良町にある菊岡 漢方薬店 |
奈良町物語館の 店内の一部 |
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元興寺と奈良町 この付近は奈良時代(八世紀)の元興寺の金堂や塔、南大門など主要な伽藍があった地域と推定されている。中世以降、奈良の町の発展に伴い寺地の大半は宅地化した。芝新屋町の元興寺は、現在は華厳宗の寺院で境内には奈良時代の元興寺の塔跡があり、多くの文化財が伝えられている。 |
元興寺由緒説明板 |
御霊(ゴリョウ)神社鳥居 |
御霊神社説明板 |
奈良町格子の家 |
ならまち振興館 |
道路にせり出した?の樹 |
?の万灯籠 |
サイゼリア=昼食場所 |
山焼き後の若草山 |
帯解寺到着 |
本堂 |
鐘楼 |
臘梅 |
境内の一角にある小町之宮 |
真言宗の宝寿山龍象寺 |
龍象寺は四十五代聖武天皇の勅願所として天平二年(730)行基菩薩が広大寺(光台寺)の奥の院として創建、自ら彫刻の地蔵菩薩を安置し本尊とした。近接の帯解寺の奥の院ではない。 | 天井に書かれている龍 |
旧24号国道沿いに建つ 帯解寺方向板 |
広大池の堤防を歩くmo |
左記は95haもある大きなため池。日本書紀に記される推古期の和珥池。聖徳太子が秦河勝に築造させたと伝わるが、平安時代に弘法大師が築造したという説もある。 | 五徳池 mo |
日本霊異記などに記される「越田池」と考えられている。唐長安城にある「曲注油」と位置的に共通することから、平城京が長安城をモデルとしたという説の根拠の一つになっている。 |
注 mo印は、ナビ役のスナップ写真を示す