大国見山には世話役は登坂せず mo印はナビ役写真を拝借して貼付しています | ||||
天理駅前の地図を眺めて行く先を確認するこの日の参加者たち |
天理教本部前 |
石上神宮境内を 通り |
柿ノ本人麻呂の歌 未通女等が袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ 思いき吾は |
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境内の人気者 神鶏 |
拝殿(国宝)前の桜門 |
左記の桜門(重文)に かかる木額(上掲)は 明治の元老山形有朋筆になる「萬古猶新」で御神徳の永遠の働きを意味する由 |
Hシニア作成の クレヨン画 左記桜門 |
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出雲建神社式内社 (国宝) |
東海自然歩道経由で |
東海自然歩道経由で |
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小川・布留川の高橋 橋を渡って |
バス停二本松 ここのバスは一日 数本朝に2本、夕刻に1本程度 今回はバス利用せず |
上って行くにつれ 地蔵や菩薩像が 祭ってあるのに出くわす |
ここにも |
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ここにも |
天理市豊井浄水場 |
浄水場築堤 |
桃尾滝入口 上後ろに滝の案内板あり |
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風に揺れる ススキ |
石上神社(元社) |
石上神社(元社) 桃尾の滝の南側にある山の中腹に鎮座。 この滝には、草薙の剣を持っていた八岐の大蛇が剣と なって降臨したとの伝承が語られます。地元では、石上神宮 の元社として伝わる。由緒などは不明ですが、竜福寺山内 絵図には「平大明神社」として現在の地に小社が描かれて いるそうです。 後世、能橋かけはし村の鎮守であったのを大正6年に小字 坂口の須賀神社と、小字垣内の墨江神社とを合祀し、滝本 の鎮守としたそうです。 《ナビ役案内文より》 |
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桃尾の滝 滝の落差 23㍍ 春日断層崖で見られる 最大の滝 |
今はまた 行きても見ばや 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて (後嵯峨天皇) |
大国見山登山コース 案内板 |
Hシニア作成の クレヨン画 桃尾の滝 |
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急な坂道を通り 大親寺へあがる処に さしかかる |
大親寺跡の塔奥では 紅葉の色づきがーーー |
大親寺拝殿 |
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坂道途中の 板菩薩の仏達 |
以前の龍福寺跡由緒 |
大親寺(だいしんじ)は天理市滝本町にある仏教寺院 山号は大和桃尾山。本尊は釈迦牟尼仏。 明治の廃仏毀釈令まで、真言宗の桃尾山蓮華王院龍福寺 (ももおさんれんげおういんりゅうふくじ)でした。 寺伝によると、和銅年中(710年ごろ)に、義淵により開基され、 行基が伽藍を整備した。義淵が建立した龍蓋寺(岡寺)、龍門寺 (廃寺)と共に龍名の三大名刹の一寺といわれています。 その後、空海が再興し、真言密教の道場となり、真言宗桃尾山 蓮華王院龍福寺と号しました。 最盛期には寺領100石、16坊舎を有する大伽藍となりましたが、 1868年(慶応4年)廃仏毀釈令により一旦断絶。大正7年7月、 龍福寺の阿弥陀堂跡地に不動堂を建立し再興、大和桃尾山 大親寺と号します。昭和36年に、現在の本堂を建立しました。 《ナビ役案内文より》 |
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大親寺境内の仏達 |
大親寺境内の仏達 |
大親寺~大国見山間の 距離表示 mo |
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大国見山頂上 近くの巨石 mo |
大国見山頂上 近くの巨石 mo |
大国見山頂上 mo |
頂上の巨石群 mo |
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頂上からの展望 奈良盆地の天理~奈良間あたり |
下山時の 大国見山~大親寺間 mo |
下山時の 大国見山~大親寺間 mo |
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大親寺~桃尾滝間の あみだ磨崖仏 mo |
桃尾滝の 不動明王磨崖仏 mo |
桃尾滝説明板 | 帰り道で見た 民家内の云百年の楠木 |