近鉄松塚駅~百済寺~輿楽寺~箸尾城跡~近鉄箸尾駅
環濠集落
大和平野中心部には、堀(濠)に囲まれた、いわゆる環濠集落が多い。濠には水を湛え、水利と村落防衛のために造られたと考えられる。大和高田市内には、有井、池尻、松塚、土庫(どんご)、岡崎、礒野などに環濠が残っているが、なかでも、藤森の環濠はよくその姿をとどめている(ただし、今回は雨で踏み入れず、パスした)。しかし、今やいずれの環濠も、水利の変遷、住宅開発などにより、姿を消しつつある。
《ナビ役書き出しを拝借》
 
近鉄松塚駅スタート
 
環濠に囲まれた
市杵島神社
 
同左拝殿
 
同左 本殿

道端の民家のカリン 
 
広陵町の案内看板

同左と町営バス案内 
 
春日若宮神社鳥居
後ろは百済寺三重塔
百済寺の創建の時期・経緯等は明らかでない。
寺は三重塔と小さな本堂を残すのみで、隣接する春日若宮神社によって管理されている。伝承によれば、この寺は聖徳太子建立の熊凝精舎を引き継いだ百済大寺の故地であるという。百済大寺とは、7世紀前半に創建された官寺で、再度の移転・改称の後、平城京に移転して南都七大寺の1つ大安寺となった。『日本書紀』舒明天皇11年(639年)7月条に舒明天皇が「今年、大宮及び大寺を造作(つく)らしむ」と命じた旨の記事があり、大宮と大寺は「百済川の側(ほとり)」に造られたという。
  しかし、当地における「百済」の地名が古代から存在した証拠がないこと、付近から古代の瓦の出土がないこと、飛鳥時代の他の宮(岡本宮、田中宮、厩坂宮など)の所在地が飛鳥近辺に比定されるのに対し、百済宮のみが遠く離れた奈良盆地中央部に位置するのは不自然であることなどから、この地に百済大寺が所在したことは早くから疑問視されていた。
1997年以降、桜井市吉備(安倍文殊院の西方)の吉備池廃寺の発掘が進むにつれ、伽藍の規模、出土遺物の年代等から、吉備池廃寺こそが百済大寺であった可能性がきわめて高くなっている。 
《ナビ役説明書きを拝借》
 
百済寺の三重の塔
鎌倉中期の建築で
明治39年重文指定、
本尊は毘沙門天像
 
春日若宮神社
本殿(鍵が掛けられ
本殿前には進めず)

万葉歌人 山部赤人歌碑

百済野の
萩の古枝に
春待つと
居りし鶯
鳴けにけむかも 


参加者のH氏鉛筆画
 
雨宿りを兼ねて
早めの昼食

 
神社横手に
百済寺の本堂あり

輿楽寺に向かう
 広陵町の案内看板④
 
左端に説明書きを
掲載している
輿楽寺(ヨラクジ)の梵字池
空海(弘法太子)が与楽寺を訪れたのは伝承によると唐から帰った頃(九世紀初期)である。
その時この寺の荒廃ぶりを嘆き、ここに梵字をかたどった池を掘って、寺を再興したと伝えられている。梵字池について正確な記録は残っていないが、その最も古い記述は天和元年(1681)の大和名所記に、「あ・ばん・うんの三池」として、「弘法太子掘らせたまひしなり」。あ字の池は田原本の未申の方にして秦楽寺にあり。ばん字の池は広瀬郡百済大寺にあり、うん字の池は広瀬郡田中村にあり。ここにして「三教指帰」を聖述あるとて池の中に三教島を築きたまひしも今にあり」とあるが、北葛城郡史、田原本町史、秦楽寺略縁起、百済寺縁起等に書かれた寺名と梵字との関係はみな異なっているので、ここでは広瀬郡田中村の与楽寺に梵字池があるとのみ記しておく。池の東縁に一畳程の大きい石が見られるが、これは空海がこの上に座し、修行したとの伝承がある。 
 
 
これが空海修行の石

与楽寺(ヨラクジ)前で
由緒に
見入る参加者 

本堂前にて 
 
与楽寺由緒
本尊は弘法太子座像
 
櫛玉比女命神社鳥居

櫛玉比女命神社拝殿 
 
櫛玉比女命神社由緒
延喜式にいう「廣瀬郡五座」のひとつでいわゆる式内社の格を誇る。
祭神櫛玉比女命は櫛玉彦命に配されるが、「大日本史」では、饒速日命の妃である御炊屋姫を当社祭神としている。本殿は春日造檜葺を銅板葺に改め、その前方に入母屋造桟瓦葺、正面千鳥破風付きの拝殿を設けた江戸期の建築である。
 
横手からの本殿

広陵町の案内⑦ 

箸尾城址碑 
箸尾城は、室町時代に箸尾氏によって築かれた。箸尾氏は、長川荘の執行・検断職に任じられ、長川党の盟主として、筒井・越智・十市氏と共に大和四家に数えられる有力国人であった。室町時代、大和を二分しての争乱「大和永享の乱」では越智氏と組んで筒井氏と争い、永享3年には筒井順覚によって箸尾城は攻められ落城した。その後、勢力を回復した箸尾氏は、戦国時代の天文15年に箸尾為政が筒井順昭に誘殺され、翌年には箸尾城も破却された。
永禄2年に越智氏の支援により失地回復した箸尾為綱は、大和へ進攻した松永久秀に与して筒井順慶と戦った。為綱は、松永久秀から筒井順慶に帰順するが、天正8年の織田信長による大和一国破城令により箸尾城は廃城となった。 
 《ナビ役説明書きを拝借》
 
教行寺 別名「箸尾御坊」
本願寺第八世蓮如上人の開基で、摂津国に建立したのが始まり。
現本堂は豪放華麗な江戸時代末期の典型的な大型真宗本堂。 
 
観世音 大福寺
聖徳太子の建立と伝わり、江戸時代には三十石を与えられ、徳川家康から家茂までの朱印状が残されている。 

鎌倉時代後期の
優美な層塔 
 
大福寺由緒
 
広陵町の案内 ⑤
 
近鉄箸尾駅

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