宇陀 高塚古墳 伊那佐山
本日のコース 榛原駅⇒高塚バス停⇒八咫烏(ヤタガラス)神社⇒竹橋⇒伊那佐山・都賀那岐神社⇒竹橋
           ⇒高山右近碑⇒芳野川(ホウノカワ)沿いに菟田野へ⇒岩崎橋バス停⇒榛原駅へ   


八咫烏神社の守り神

 八咫烏神社鳥居

降りた高塚バス停の
つくし つくし
 

 
 八咫烏神社

拝殿
 


八咫烏神社由緒
武角身命 (建角身命たけつのぬみのみこと)を祭神とする八咫烏神社は「続日本紀」に慶雲二年(705年)九月、八咫烏の社を大倭国宇太郡に置いて祭らせたことがみえ、これが当社の創祀となっている。⇒下記に続く
江戸時代(文政年間)には、これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となり、その後紀元二千六百年を記念して社域を拡張・整備し、現在に至っている。神武天皇が熊野から大和へ入ろうとしたときに路案内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏です。
八咫烏伝承はもともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われるが8世紀以降、山城の賀茂県主が有力となってからは賀茂氏が祖とする武角身命が八咫烏となったようである。 

本殿は上に 

本殿

神社の左手にある
高塚古墳標識
 芳野川(ホウノカワ)堤防
遊歩道を伊那佐山
方面に向かう

 
無効に見える
伊那佐山へ

悠久の里 伊那佐
現在地を示す掲示板

伊那佐文化センター
中に人がいるようだが
誰も現れず
 竹橋側道橋を渡って
山の登り口へ
 
山までの距離標

昼食場所
あと750㍍地点
シニア二人はここから
下山へ
四人は頂上へ



頂上までの距離を
明示する指示標mo

 伊那佐山山頂
都賀那岐(ツガナギ)神社mo
 
山頂の三角点mo
高さ637㍍
 

山頂展望はこの一角のみmo
 


都賀那岐神社mo
 

猿岩展望台


 
猿岩mo 
 
 
伊那佐山
地元の人が「山路岳」とよぶこともあるこの山は古事記・日本書紀にも登場する由緒ある山である。左記は 頂上社殿の横にある歌碑である。「楯並めて 伊那佐の山の 木の間ゆも い行き瞻らひ 戦へば 我はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が徒今助けに来ね」↙左下に続く
(たたなめて いなさのやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやえぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね) 
古事記に由来するこの歌は神武天皇が東遷の際、この地に至って鵜飼いをしていた人に食べ物を持ってきて欲しいと要望する内容であるが「戦闘に協力せよ」という意味にも取ることが出来そうだ。

街道へ出て
高山右近碑へ

芳野川沿いを
菟田野町方面へ
 
 
菟田野町に入る手前に咲く
ヤマザクラ

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